皆既月蝕
『月食とは地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことである。月蝕と表記する場合がある。満月の時に起こる。日食と違い、月が見える場所であれば地球上のどこからでも同時に観測・観察できる。すべての部分が本影(地球によって太陽が完全に隠された部分)に入る場合を皆既月食という。』
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『八月十六日 雨 月蝕皆既』
出典:「御側向頭取御用日記 データセット」(福井県文書館)
1866年9月24日(慶応二年八月十六日)、地球で皆既月蝕が観測される。日中は雨だったが、夜になると晴れて日本でも観測されることが出来たそうです。この事が「御側向頭取御用日記」に記されています。この日記は、江戸幕府・最後の将軍である徳川慶喜の側近・松平春嶽の元で働く側向頭取という役職の者たちが記したもので、今で言うところの業務日誌にあたる。後に大政奉還・王政復古等の大仕事に深く関わった男の日常が細かく記録されていて、当時の暮らしを知る為の貴重な資料でもある。
古代から太陽・月・星等の天体は、人々の暮らしに深く関わっている。「太陽暦」は太陽を、「太陰暦」は月を元に記された暦。そして月見等は人々の娯楽の対象でしたが、日食や月食等の「普段変わらずあるモノが消失する」という自然現象は時に人々を恐怖の対象でした。
特に彗星は凶星とか妖星とも呼ばれ、昔から悪い事が起こる凶兆と信じられていました。幕末は短期間の間に5つの彗星が地球上で観測されています。そして何の偶然か、彗星が現れた年に、大きな事件や自然災害が起こっていました。例えば、非周期彗星という一度近づいたら二度と現れない彗星が観測された年が2回あり、それぞれ「黒船来航」「安政の大地震」という幕末の人々の暮らしに大きな影響を与えた出来事が起きている。
つきはきえ ほしがおちて