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​十王による審判

微小特異点「十王の審判を模した地獄」の世界

紅閻魔の宝具「十王判決・葛籠の道行」には、死者を裁定する十王による審判がモチーフになった演出が含まれている。紅閻魔とともに登場する雀たちは閻魔亭で働く雀であり、それぞれ十王を冠した名で呼ばれている。恰好も王に扮した雀たちが集う中、紅閻魔の行う「裁きの一刀」を行う。​

十王による審判がある地獄は、Fate世界でも存在する。しかし文化圏や時代によって地獄の仕組みが異なるようだ。ここでは日本で知られている「十王による審判がある地獄」の一部を紹介する。なお宗教や教義によって異なる解釈が多々あるので、今回の作品作りに参考とした限定的で都合の良い解釈だと思っていただければ幸いです。

『……あちきたちの地獄は流行に敏感なので、人間たちの宗教観を取り入れる事も多いのでち』出典: イベント「閻魔亭繁盛記」紅閻魔の台詞

仏教では、人は亡くなると現世に別れを告げ、中陰(ちゅういん)という世界を旅するとされている。中陰とは、来世の行き先を決めるための審判が行われる世界。中陰で過ごす49日間は冥土の旅と呼ばれ、7日ごとに地獄の王達から生前に犯した罪を裁かれる。

中陰で審判が行われる日、現世では死者に近しい人々が集まり、死者の減刑の為に仏様に祈る。その為に「仏事法要(法事)」が行われるようになる。

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

なお室町時代以降、十王を元に、蓮華王(七回忌)・祇園王(十三回忌)・法界王(三十三回忌)「十三王」の概念が作られる。

「十王」または「十三王」の思想は民間信仰として現代も根付いており、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」と言った話も、十王の審判が由来となっている。

また、現世に生きる者達は仏様に祈りを捧げる際、十王と仏様を結び付けて「十仏」または「十三仏」として信仰の対象とする。「王」と「仏」を同一視する考え方である。

初七日(しょなのか)

中陰を訪れた死者はとても険しい山を越えて、三途の川に着く。そこでは、秦広王によって「生前の殺生」について調べられ、審判結果によって三途の川が激流か緩流か、橋の上を渡れるかが決まります。

現世では、死者の煩悩を戒める不動明王に、死者が生前への未練を断ち、良い裁きがくだるよう祈りを捧げる。


人は生まれ落ちた時に倶生神という二柱一組の神様が肩の左右それぞれに宿り、一神は善行、もう一神は悪行を監視していると考えられており、秦広王は倶生神の報告を聞いて、その人の生前の行いを全て帳面に記入する役割も持つ。この時に書いている帳面が「閻魔帳」で、後の審判に引き継がれる。

二七日(ふたなのか)

三途の川の渡り方は、先の審判結果による。ここで「六文銭」を使う場合がある。三途の川を渡りきると、奪衣婆という鬼に衣服を剥ぎ取られ、懸衣翁という鬼に手渡され、罪の重さを計れる衣領樹という木に掛けられる。そして、初江王によって「生前の盗み」について調べられます。この時引き継いだ閻魔帳の中身や衣領樹の結果なども加味した審判が行われる。

現世では、どんな人の願いも聞き入れてくれる釈迦如来に救いを求めて祈りを捧げる。

現世で死者を棺に入れる時に着物を左前で着せるのは、奪衣婆に服を取られないようにするためのおまじないとも言われている。Fateに登場する奪衣婆は、紅閻魔の地獄の下働き時代の上司であり、養母にあたる。

三七日(みなのか)

宋帝王の前では生前の不貞を調べられます。死者が男性だった場合は猫、女性だった場合には蛇を使い、正しく答えない場合はそれらによる苦痛を与えられる。

​現世では、「三人寄れば文殊の知恵」​のことわざで有名な文殊菩薩​に祈りを捧げる。

四七日(よなのか)

ここで出会う五官王に、生前嘘をついたかどうかを調べられます。五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)が元となり、他人を傷つける言動をしていなかったかを見極めます。五官王は業秤という秤を使うが、これに乗せられた死者は、罪が重ければ重いほど、秤の反対側の重たい石が持ち上がってしまう。

​現世では、悟りの世界へ導いてくれる普賢菩薩に祈りを捧げる。

五七日(いつなのか)

​五回目の審判で登場するのが、閻魔王。これまでの四王から引き継がれた閻魔帳の中身や、どんな嘘や誤魔化しも見破る浄玻璃鏡の前では、死者は嘘をつくことができない。映し出される生前の行いを平等に裁き、その行き先が決定します。十王の中でも閻魔王が馴染み深いのは、これらの行いがあるからだと思われる。

裁かれた死者の行き先の世界を「六道」とは言う。それぞれ天道・人間道・修羅道からなる三善趣(三善道)、畜生道・餓鬼道・地獄道からなる三悪趣(三悪道)と言い、いずれかの世界に行ってから、また生まれ変わること……つまり「輪廻転生」を繰り返す。人は輪廻転生を繰り返すことで徳を積んでいき、最終的に極楽浄土へ行けると言われている。

 

また、現世で地蔵菩薩に祈りを捧げることで、六道に地蔵菩薩が現れ、人々の苦難を身代わりとなって、苦しみから救ってくれるとも言われている。地蔵菩薩も

日本における民間信仰では、「お地蔵さん」「お地蔵様」等と呼ばれる道祖神として親しまれている。

​Fateに登場する閻魔王は閻魔大王と呼ばれる。閻魔大王は奪衣婆の元で滅茶苦茶働かされていた紅閻魔を不憫に思い、養女に迎える。(閻魔大王は奪衣婆の夫である)養女にした際に、閻魔の名代の地位を与え、奪衣婆の元から離して、代わりに閻魔亭の管理をお願いすることになる。

六七日(むなのか)

これまでの審判に基づき変成王によって、死者の生まれ変わる場所の条件が決まる。この時、現世で弥勒菩薩に祈りを捧げることで、死者の前には弥勒菩薩が現れて、悪道を選び辛い地獄へ進もうとする死者を許し、救ってくれるとも言われる。

 

​信仰する過程で、「王」と「仏」を同一視する考えがある為、変成王は王の中では寛容な存在であると言われ、死者の意見や願いを聞き入れてくれるとも言われている

七七日(しちなのか)=四十九日

中陰で過ごす49日間は冥土の旅の終わり。死者は泰山王により結審する。ここで殆どの死者が、六道の何処かへ行き、転生先も決まる。

最も大切な最後の審判である為、現世では四十九日法要を行い、最良の決定がなされるよう、薬師如来へ祈りを捧げます。
 

もしここでも決まらなかった場合は、百ヶ日に平等王(観音菩薩)、一周忌の時に都市王(勢至菩薩)、三回忌の時に五道転輪王(阿弥陀如来)による追加の審判が行われ、現世でも祈りを捧げる為の法要が行われます。

 じごくのそこに おちていく 

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