新選組は夏に始まり
夏に終わる。
新選組は夏が盛りだ
n回繰り返された新選組の夏の出来事。
細かく照らし合わせるとズレる出来事がありますが、フィクションなので雰囲気紹介。
二十四節気の言葉は「暦便覧」に記載されていた文章を引用しています。
夏の立つがゆへ也
文久三年(1863)
夏の気配が感じられる頃。
壬生浪士組が正式に会津藩預かりの組織となる。
万物盈満すれば草木枝葉繁る
慶応元年(1865)
全てのモノが次第にのびて
天地に満ち始める頃。
隊士募集に出掛けていた土方歳三と斎藤一らが、新入隊士を伴い、江戸を出立する。
大暑来れる前なれば也
慶応三年(1867)
暑気に入り梅雨のあける頃。
新選組から脱退し御陵衛士として活動している間者の斎藤一。
はじめのうちは御陵衛士の宿舎が決まらず、様々な場所を転々としている。
陽熱至極しまた
日の長きのいたりなるを以て也
元治元年(1864)
昼の長さが最も長くなる頃。
大坂天神橋にて大坂西町奉行組与力・内山彦次郎が暗殺される。
主犯は新選組と言われている。
陽気とどまりて
初めて退きやまんとすれば也
慶応元年(1865)
暑さがおさまる頃。
斎藤一と松原忠司が山南敬助の墓参りに行く。心中騒ぎが起き、その傷が元で松原は病死。沖田総司と土方歳三、墓参りに行く。
(オリジナル要素)
暑気いたりつまりたる時節なれば也
慶応三年(1867)
夏の暑さがもっとも極まる頃。
新選組、幕臣取り立てが通達される。
陰気ようやく重なりて
露こごりて白色となれば也
元治元年(1864)
しらつゆが草に宿る頃。
幕府から池田屋事件に出動した隊士に恩賞金が支給される。
陰陽の中分となれば也
慶応二年(1866)
秋の彼岸の中日、
昼夜がほぼ等しくなる頃。
八月十六日に日本各地で皆既月食が観測される。
その数日後、幕府は前月に大阪城中で亡くなった将軍徳川家茂の喪を発したとみられる。
家茂上洛の警備の為に集められたのが、浪士組である。
芒ある穀類 稼種する時也
慶応四年(1868)
稲等芒のある穀物を植える頃。
先の宇都宮での闘いで負傷した土方歳三。新選組の指揮を斎藤一に任せ、療養期に入っている。
初めて秋の気立つがゆへなれば也
慶応四年(1868)
秋の気配が感じられる頃。
諸説あるが、この話では清水屋で療養中の土方歳三の元に会津藩を通じて、近藤勇と沖田総司の死を知ったことになっている。
斎藤一が体験した夏の終わり。
(オリジナル要素)
明治二年五月十一日
(1869年6月20日)
土方歳三、一本木関門で指揮中に被弾して死亡する。
五月十五日に隊士・相馬主計が新選組最後の隊長となってから三日後、五月十八日に五稜郭に残った者たちが降伏する。
天文学的に「夏」は夏至から秋分とされているが、明治二年の夏至は五月十二日である。
新選組は、結成されてから「七度目の夏」の中で終わるが、土方歳三は「七度目の夏」を前に亡くなっていることになる。
まこと の のこりび が